おうち花マイスター*本多るみ
おはようございます^^
おうち花マイスター*本多るみです♪


ちょっと間が空いてしまいましたが
今日は、夏休みテーマ 『自由研究』のワタシ論②


【”自由研究”で
 「カンペキな正解」を出さなきゃと思っていませんか?】


ということについて
お話してみたいな、と思います。




自由研究は、「研究」とついているからして

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何かに「不思議だなあ」とギモンを持って
調べてみる・実験してみる・自分で作ってみる 
という、
その【体験】が重要
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だと わたしは思っています。



この質問を頂いて わたしがまず「?????」と 不思議に思ったのは


なぜ、この親御さんは
「タネまきから30日で咲く花」がほしいんだろう?

ということ。


で、おそらく、この親御さんは

「タネをまく観察日記をするなら、
 花が咲いて終わりでなくてはならない」


と思っているんであろうことに気づいたんですね。



「正解の型」を求めているんじゃないかな? と。



日本の教育って、
最近は、私立の学校を中心に
「自分で考えてね」という教育に変わってきてはいますが
基本、「正解を暗記せよ」教育 なワケです。


でも、
「研究」に「正解」は 「ない」んですね~ -0-



ノーベル賞などで評価される研究は、
確かに「成果が出た研究」です。

でも、そんなにはっきり成果が出る「研究」なんて
それこそ何億、何百億と星の数ほどある研究の中の
わずかな「数個」です。

ふつう、研究というものは
調べて究めて 答えが出ない 
そういうものです。



「小学生全員」がやる課題に、
「めざましい 世紀の大発見!!」 という
そんな「何十億に1つの奇跡」が求められるはずもない のですが


「正解をもって行かなければならない」という
半ば脅迫概念みたいなものを

ついつい、
「正解を暗記せよ」教育を受けた 親側の身としては
考えてしまうのかもしれません。



もともと、自由研究や工作の意図するところは

「世の中のしくみや起きていることにギモンを持ち
 どうしてなんだろう?
 どうなっているんだろう?
 知りたい! 解明したい! と思う気持ちを
 書きしるしたり、工作を作ることで表現しておいで」

というものだと思っています。



その「経験」をすることで
身をもって「体験」をすることで

その「過程」で 
その子なりの
100人いたら100様の

『気づき』があるはず。



その『気づきの体験』をするための宿題

なのではないでしょうか?



こういう「経験」が

「もっと知りたい!」=勉強したい! とか

「将来、○○になりたい!」 という

未来の夢を 育むのではないでしょうか。




わたしは、自由研究とは 
興味をもつことができる対象を見つけることで

「子どもが、自分の人生の目的を見つけるためのエッセンス」

だと思っています。




だから、
たとえば、頂いたご質問のように
「植物を育てたい」と思ったのなら・・・

まずは
土や鉢、肥料など
「植物を育てるための準備」を調べて、ととのえます。


そして
「夏休みの今がタネまき時期にある植物」
を調べてタネをまき・・・



・まず、芽が出るまでに1~2週間かかることを知る
・すべての種から芽は出ないことを知る
・大きく育つために間引きをしなくてはならないことを知る
・間引きして抜くときにどう感じた?かわいそう??
・抜いた苗をどうするか? 他のところに植えてみる??

・残った苗がどんなふうに毎日育つのか
・1日どのくらい伸びるのか
・葉っぱはどんな順番で出てくるのか
・上の葉っぱが出てきたらどんな位置に出ているのか
・つるを巻く植物ならどっち巻きなのか

・全部の苗が同じ方向に巻いてる?巻いてない?
・茎や葉っぱに毛が生えている??
・この葉っぱの毛は何のためにあるんだろう??
・葉っぱに穴があいた!どうしてかな?
・葉っぱを食べているのは誰??

・折れてしまったら、そのあと何が起こるのかな?枯れちゃう?新芽が出る?
・どうして新芽が出てくることができるんだろう??
・つぼみができた!
・花が開くときってどんなふうに開くんだろう?
・花は咲いてからも毎日変わるのかな?

・花に誰かやってくるかな?
・花びらはどんなふうにして落ちる?
・花びらが落ちたあとの花はどうなるんだろう?
・タネができてきた!毎日どう変わっていくんだろう?
・タネが実ったみたい
・実ったタネには誰か来るかな?
・このタネはどうすればまた来年も咲くかなあ?



といったほんとうにたくさん、たくさんのことを

【不思議に思い、ギモンを感じ、
 そして自分で考えて、
 観察したり実験してみたりする】


この部分こそが重要なところであって


最終的に、
つぼみがつく前に
夏休みが終わろうと
「何の支障もない」と思います。



そこまで、で
いいじゃないですか。


「花が咲いてほしかったけど、まだみたいです。
 花が咲くには、あと1カ月くらいかかるそうです。
 花がさくまでに、そんなに長くかかるなんて知らなかった。
 咲いてる花を見たら、みんな頑張って大きくなったんだな
 と思うようになりました」


そんな自由研究、とっても良いと思うんです。



少なくとも、この経験をした子は

「いのちが育つのには時間がかかること」
「花は咲くまでにとってもがんばったんだ」

ってことを知ることができます。



きっと、
花や、身の回りにあるいのちを
これまでよりずっと大事にできるようになるでしょう^^



そうやって、

いままで、
「見えているのに全く見ようとしなかった世界のこと」
にギモンを持って、

見たり 触れたり やってみて 感じた

「オドロキ・感激・感動」こそが大事!



なのであって

夏休みが終わるまでに花が咲こうが咲くまいが、
そこはぶっちゃけ、どうでもいい所 だと思っています。




というか 
そこまでの過程を「楽しい!」と思えれば

子どもは自分で自主的に、
「花が咲いてタネをつけるまで観察し続ける」んじゃないのかなあ?




「花が咲いてタネをつけるまで観察し続ける」・・・

そのことはもちろん、とっても良いことなんだけど

夏休みの間にそれを終わらせることが目的なんじゃなく
やらせる(強要する)のが目的なんじゃなく

「そうしたい」と思う「気持ち・意欲」を「育てること」

そこが大事なんじゃないのかな と思うんです。




自分も親になって思うこと、それは・・・

親であるわたしたちにできることは
そんな子どもの成長・・・

子ども自身が 自分で 自分の人生を生き抜いていく

そのための成長を
そのために必要な力をつける過程を

見守って行くことなのかなあ~


と 思っています。





自由研究の話、まだまだ つづきます~~^-^/
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